「アウシュビッツのユダヤ人ゲーム」Google Playから削除
6月24日のYahoo! ニュースに1件のゲームのニュースが流れた。
ホロコースト想起 ゲーム削除 | 2016年6月24日(金) – Yahoo!ニュース
アプリはすでに削除されているため詳細な内容を自分で確認することは出来なかったが、記事によればアウシュビッツの収容所で生き残る事を目的としたゲームのようで、開発者は「ただのパロディーだった」とコメントしているが勿論パロディで済む内容のはずもない。
日本で言えば「神になって原爆を落とし日本人を絶滅させるゲーム」くらいのインパクトがあると言いかえれば伝わるだろうか。
クリエイターが覚えておくべき過去の事例
こういった問題はゲーム開発者にとって対岸の火事ではない。クリエイションにかかわる人間が将来問題になりうる倫理の問題を知らないと、あなたの作ったゲームは存続の危機にさらされ最悪の場合は会社を破たんさせる事すらありうるからだ。
まして個人開発者や小規模インディーチームは財務的に脆弱であり、無知が人生そのものを危機に陥れるケースすら考えられる。ゲームが売り上げをあげなくなるだけならまだしも、訴訟になってマイナスに転じてしまう可能性だってゼロでは無いのだ。
本コラムでは将来のそういったリスクを避けるための知見として『発売中止/それに相当する問題となった比較的有名な商業作品をいくつか紹介していこうと思う。
各作品を誹謗中傷する意図は一切ありませんのでタイトルのみ紹介で、メーカー名などはあえて記載せずリンクもいたしません
格闘超人:宗教問題
2003年に発売されたXbox用格闘ゲーム。本作ではゲーム中のコーランをアレンジしたBGMがあった事が問題となり、イスラム教団体からのクレームでゲームが回収される事となった。
宗教は全般的にセンシティブなテーマで、イスラム教だけでなくキリスト教の十字架なども取り扱いには気を遣うべきである(問題がない事を担保できないのであれば避ける事が無難だろう)
Thrill Kill:ゴア表現
海外V社から発売予定だった対戦アクションゲームで、完成直前に発売中止となった。しかし開発者がゲームデータを流出させたためにYouTubeなどに動画がアップされている。問題となったのはゲーム中の残酷表現だ。
時代が時代なので表現のクオリティが高くはなく、動画を見てもあまりピンとはこないかもしれない。できれば現在の最新グラフィック表現で同じものを作ったらどうなるか、想像力を働かせてみてほしい。
チェルノブ:社会問題パロディ
1988年にアーケードでリリースされたアクションゲーム。タイトルと画像の「戦う人間発電所」から想像できるだろうか。本作はゲームそのものではなく「原子力発電所の事故で被爆した炭鉱夫」という設定が問題視された。このゲームはチェルノブイリ原発事故をパロディにしたゲームだったのである。開発会社は「チェルノブはカルノフ(同社作品)の従兄弟という設定であり、原発事故とは全く関係ない」と釈明しているが、当然ながらそれを信じる者は少なかった。
アーケード版はそのまま稼働し続けたが、サターン版については発売中止となっている
他に姉歯問題のパロディーゲームやオウム真理教のパロディゲームなど、主に個人開発ゲームにおいて類例が多いが、少なくともパブリックに出すつもりがあるのであればネガティブな社会問題をネタにするのは避けるべきであろう
マジカルストーン:権利問題
本作はセガの「ぷよぷよ」をeスポーツ化しようというコンセプトの元、既に続編の開発をしていないセガに許諾を取って制作されたゲームで、いわゆるクローンゲームだ。開発者は「セガから許諾を得た」と述べていたが、メディア各社からセガへの問い合わせに対して公式に許諾した事実はない旨の回答があり、また開発元のRMT問題も火に油を注ぐ結果となって結局サービスを停止した。
本作において指摘してきたい点は「権利の取り扱い」である。例えばバンダイナムコのカタログIPプロジェクトは権利を一般に広く、しかも広範に許諾しているがそれでも両手をあげてフリーというわけではなくいくつかの(緩くはあるが)規定があるので権利関係はしっかりと調査をすべきだ。
このカテゴリにおいては「同人のグレー問題」がたびたび話題に上る。同人ゲームは「権利者以外がクレームしてくる」ケースがあり、話がさらに複雑である。この界隈に詳しくない人間が軽々にビジネスをしようとしないほうが無難である。
オーバーウォッチ:性表現問題
海外B社開発/販売(日本ではSQ社)のFPS。本作ではトレーサーというキャラの勝利ポーズが「過度な性的表現」として問題になり、結局B社の判断で差し替えられている。
性的表現が問題となるケースは枚挙にいとまがないが、本作で特徴的なのは①「一部ユーザーからの懸念表現」であり、なんらかの団体や組織からのクレームでは無かった②B社がそれをあっさりと受け入れ差し替えを行った この2点である。
奇妙な事にこの問題においては「元々セクシーに見えるキャラであれば問題はなく、健康的なイメージキャラのトレーサーだから問題」であったらしいという点だ。その判断基準はあまりに曖昧模糊としている。にもかかわらずB社があっさりと差し替えてしまった事はレーティング制度の崩壊というのは言い過ぎだろうか。
なお筆者もユニティちゃんのコスチュームでちょっとしたトラブルになった事があり、日米のセクシャル表現に対する認識の違いに驚かされた経験がある。世界的な傾向として「セクシャル表現はあらかじめトラブルを避ける」というのがトレンドだ。日本国外にも販売していきたい開発者は留意されたい。
絶体絶命都市(特殊な類例)
最後に挙げるのは非常に特殊なケースである。本作は災害で壊滅した都市でサバイバルするアクションゲーム。開発中に東北大震災が発生、「被災者に配慮する」という理由で発売中止となった悲運のタイトルである(その後発売されている)。
この作品を不謹慎ゲームと一言で語ってしまうのは無理がある。内容は災害や被災者を侮辱するような内容ではなく、むしろ被災者を救う事になった面があるのだ。
夜中の地震で停電になって、取り敢えず暗闇の中を学校まで避難しようとしてた時に頭の中にあったイメージは「絶体絶命都市」でした。あのゲームの経験がなかったら、自転車用のライト外して胸元に下げて照明を固定したり、妻のバッグに後方用の赤点滅を括りつけたりはしなかった。
— モモちん (@r2o2k) 2016年4月28日
このツイートは多くのサイトで引用されたので記憶にある人も多いだろう。このゲームによって被災地で実際にサバイバルするために助けられた人がいるのが現実なのである。
リスクのあるものにあらかじめ蓋をしてしまうのは簡単だ。だが「あえて目をそむけないで見てもらう」という事も内容によっては必要だし、ゲーム開発者のみならず受け手も深い理解と共感が必要だ。
ネットでなんでも批判するのが容易な環境があり、作るのも体験するのも息苦しくなりがちな現代において最も大事な事は「何がリスクか」という見極めだろう。その判断材料として本コラムが一助になれば幸いに思う。